私なりに調べたことをまとめました。
宮本外骨(1867~1955)が、『府藩県制史』(1941)で、廃藩置県の県名について、藩が幕府寄りだと郡名、新政府寄りだと都市名になっていたという説を提唱したのが、この論争のはじまりのようだ。
『廃藩置県』(勝田政治、平成26)の文庫版228ページ~によると、「朝敵や曖昧への懲罰はなかった」が、「忠勤藩の温存はあった」。
『消えた都道府県名の謎』八幡和郎は、このような説を一刀両断、真っ向から否定している。なお、この書物は山川出版社の『〇〇県の歴史』や『〇〇県の歴史散歩』『日本史要覧』を出展としてあげている。
注目すべき人
- 石井諭司
- 松尾正人
- 勝田政治
- 2017-01-28 初版