罰(バチ)の意識はありますか

最近、よく思い出して考えていることを文字にしておこうと思います。完全に自分語りです。「バツ」じゃなくて「バチ」です。「お天道様が見ているよ」というやつです。

私が自分のお小遣いで、自分の好きな服を買ったのは、確か高校1年生の時、ジーンズメイト立川店で、でした。ダブルウエストダブルジーンズで、メーカー・見た目・色ともに、まさにこれ↓です。サイズは82じゃなくて79だったかな。

Nylaus Clothing ダメージ加工 デニム パンツ 82 – メルカリ

我ながらよく覚えているものだと感心というか、呆れるというか。そして、私に会ったことある人はご存じの通り、今も似たような服を着ているので、そのころから好みの方向性は変わっていないし、死ぬまで変わらないかもしれません。

何の話が始まったのかと思われたでしょうか、記事のタイトルの「バチ」がやっと出てきます。何がバチかというと、「私がこんな服を着たらバチが当たるのではないか」と当時は恐れていました。

そして、このジーンズを履いた日や翌日に、物を忘れるとか怒られるとか、良くないと思えることが何回か起きたんだと思います。具体的な出来事は記憶していないですが。

結局私は、この自分で買ったジーンズを切り裂いて捨ててしまいました。

なぜ自分のお小遣いで買った服を、まだ着られるのに捨ててしまったのか。

  • 自分のようなキモオタはキモくあるべきで、服に気を遣うなどということは「とんでもない」し、「とんでもない」ことをしたらバチが当たっても当然だろうということ
  • このダメージジーンズを着ることで、私が性的興奮を得ていたということ
    • 男性が女性的な服や女性用下着に性的に興奮するという性的指向は一般的なものだと思いますが、私は異性(女性)向けの服よりは断然、同性(男性)向けのデニム生地やダメージ加工のある服と厚底靴に性的に興奮する、ということです。自分でもよく分かりませんが、服を切り裂いて捨てた出来事から十何年も経ったいま、やっとこうして文字にして電網の片隅に公開できたので「自己理解」はすぐ近くかもしれません
  • 人前でジーンズを履くと、とても恥ずかしいということ
    • 小学生高学年くらいからジーンズを履くのを避けるようになっていました。上記の私の性的指向の側面として猛烈な恥ずかしさを感じるわけですが、当時は全く分からず
  • 服を嫌いな私が服を買っているという、自分の行動が理解できずに混乱していたということ
    • 私は「家族でユニクロに服を買いに行くこと」と「ユニクロの店内の雰囲気」がとても嫌いで、服自体が嫌いなわけではないと気づくまでには、まだまだ何年もかかるのです

みたいなところなんじゃないかと。


今でも自分で自分を縛っているバチの意識、みたいなものはあるのでしょうか。

  • 自動車の運転
  • 他人と、とても親しくなること

ちょっと違うかもしれないけど、この2点はすぐ思いつきました。車なあ……車……。名豊道路に名四道路、名岐バイパス。ロードサイドのラーメン店に、ショッピングモール、スーパー銭湯。車なら、行きやすいなあ……。車なあ……。私のような運動神経皆無な人間が運転したら、すぐに人が死ぬんじゃないかと恐れています。その割には自転車は乗ってるし、論理破綻です。


「バチがあたる」という観念は、道徳的には良いかもしれませんが、科学的とは言えないでしょう。高校生の私は、悪いことをしたら先生や親や怒られるのに加えて「バチがあたる」のは当然のことだろうと思っていたし、今でもまあ、そこそこ信じている気がします。なぜだろうか。その答えについてはまだ考えが深まっていませんので、この記事はここまでとします。

2025-11-26 公開