歴史に埋もれた「○条通り」

関東地方で戦前に分譲された住宅地には、北海道の都市にある「○条」というような通りの名前を付けられたところがいくつかあったようです。

しかし、住居表示などに使われることは無く、埋もれた存在になってしまっているようです。

国立学園都市

1926年 – 箱根土地株式会社(現・プリンスホテル)により、東京商科大学(現・一橋大学)を中心に据えた学園都市構想に基づき、国立学園町地区開発。分譲開始。国立駅開設。

と、Wikipediaにある。なお、次の項で紹介する、大泉学園町も箱根土地の開発である。

西二条踏切、西四条踏切、西五条踏切があったが、高架化により現存しない。東一条通りが、商店街の名として現存する。

大泉学園都市

こちらは、1924年年からの開発(Wikipediaから)。大泉学園通り上にピンを並べた。

行政的には、新座市と練馬区に分かれていて、新座市側には道路名が残っているみたいだ。南の方にも八条、九条と続いていたのだろうと推測できるが果たして。

なお、この周辺の大泉学園通り上のバス停は南から北へ、「学園通り補助230号線」「大泉風致地区」「都民農園」「天沼マーケット」「都民農園セコニック」と続いていく。なお、オタクにとっては知られた話であるが、都民農園なるものはない。畑はとても少なく、一面の住宅街である。傍から見ていると、地名が無くて苦しそうなので、○条を使えば良いのでは、などと適当なことを思った。

と、このノリで来れば、同じく箱根土地によって開発された小平学園都市(一橋学園)にも、○条通りがあったかもしれない。暇があって、気が向けば調べる。

南林間都市

1929年から、小田急の開発。やまと根岸通り上にピンを並べた。十条、十一条は林間都市の範囲外のようだが(地図)その範囲にも伸ばしている。

九条、十一条はバス停名にも付いているのが良い。

 

  • 2017-10-14 初版
  • 2017-10-15 誤字修正と若干の加筆
  • 2017-12-12 地図を差替え