JRバス関東 白棚線の歴史

福島県の白河と棚倉を結ぶ、JRバス関東 白棚線の歴史をまとめました。

白棚鉄道の開業と国有化

白棚線の歴史は、1916(大正5)年10月に開業した私鉄「白棚鉄道」までさかのぼる。東北本線の白河駅と磐城棚倉駅を結ぶ26.3kmとして開業した。しかし1932年には、磐城棚倉駅に水郡南線が水戸方面から乗り入る。さらに、1934年に水郡北線が郡山方面とを結んで水郡線が全通すると、利用旅客が減少し経営不振に陥った。
1938年、国によって白棚鉄道は借上げされ、国鉄による運行となった。
1941年には国有化。戦況が悪化した1944年になると、ついに不要不急路線とされ、鉄を供出する目的などから線路が撤去されて、12月10日(資料によっては12月11日)運行休止となってしまった。これと同時期に、棚倉自動車区及び白河派出所が開設され、バスによる輸送へと切り替わったらしい。

バス専用道として復活

戦後、利用者数や収益の問題から、鉄道としては復旧されなかった。線路の敷いてあった敷地をバス専用道として復旧させることになる。
1957(昭和32)年4月22日(4月26日としている資料もある)、「国鉄バス白棚高速線」は開業した。「高速線」という名称、「国鉄高速バス」などとも呼ばれた。
並行する国道の最高速度が40km/hのところ、白棚線の専用道は60km/hを誇り、簡易舗装ではあったが文字通り高速だった。当時は国道でも未舗装が一般的だった時代なので、十分に先進的な設備であった。
1961年、東京オリンピックに併せ、高速道路が開業することが決まる。それに併せて、国鉄は高速バスを走らせることになり、白棚線で赤い試験バス「つばめ」で試験が重ねられた。この試験結果が元となり、初の国産高速バス車両が作られることとなる。

赤字ローカル線バス転換の先行事例として注目

1968年12月23日の朝日新聞によると、1968年10月、運輸省と国鉄の間で全国の赤字ローカル線をバスに変える方針が決まったとある。69年度から、地元と話し合い、70年度からバス代替となる区間が出てくる計画だった。実際には赤字ローカル線のバス転換は広がらなかった。
白棚線は赤字ローカル線をバスに切り替えた先行事例として紹介された。
同新聞記事によると、1968年当時の白棚線は、1日の輸送人員が8,000人で、64往復が運行されており、ラッシュ時は最短5分間隔で走らせていた。ラッシュに旅客が集中し、定期券の旅客の割合が多かったこともあり、1967年度の営業係数は130と赤字であった。「バスに代えても赤字続き」「皮肉な現実」と当時の記者は書いている。
鉄道の場合の営業係数を試算すると268だったというから、経営の健全化には寄与していたのは確かではあろう。
なお、鉄道代替としてバス路線になったものは、白棚線のほかに、奈良県の坂本線、福井県の杉津線、福井県と滋賀県にまたがる柳ヶ瀬線があった。

モータリゼーションの時代へ

時代は移り変わり、一家に一台自家用車があるのがあたりまえのモータリゼーションの時代となると、全国のローカル線と同じく白棚線も利用者が減少していく。
1969年、まず白河~昭和町駅間の専用道(約0.8km)が市に買収され、市道となった。その後も白棚線の専用道は、少しずつ並行する国道のバイパス道路の一部に転用され、距離は短くなっていった。
1997年7月には、棚倉町内の専用道(約3.0km)が廃止。同年の11月には表郷村(磐城金山駅周辺)の専用道がバイパスに転用され、全線に占める専用道の割合は3分の1を下回ってしまった。
現在、白棚線の白河駅~新白河駅~磐城棚倉駅間は、およそ25kmの距離であるが、そのうち専用道は磐城金山駅西側に約5.4km、磐城金山駅の東側に約2.0kmである。
2007年には、バス専用道区間の廃止がJRバス関東から白河市に対して示されたこともあった。周辺人口の減少もあり経営状態は厳しいものと推察されるが、日本のバス専用道の元祖として末永く活躍してほしい。

参考文献

もう少ししっかりまとめるべきでしたが、ダラダラと書いているうちにまとめたはずの資料がどこかへ行ってしまいました(;´Д`)

  • 朝日新聞
  • 読売新聞
  • 『つばめマークのバスがいく』(加藤佳一、交通新聞社新書)
  • 白河市議会議事録